KOKORO NO SHINANSHO

こころの指南書

偶然の出会いこそが本当のご縁に

あくまでも私の経験上からなのですが、縁は『つくるもの』でなくて『できるもの』・・・。38年会社を続けていて、しみじみ実感していることです。
縁に関しては、色々な会に積極的に参加して、縁をつくろう!人脈をつくろう!という考え方もあって、それも人生の選択の一つではあると思いますし、実際積極的に人脈を作って、バリバリ仕事をしている方もいらっしゃると思っています。でも、私は、積極的につくるのは苦手でした。会社を起こして、全く今までと違う世界に飛び込み、ほとんど誰も知らないところから新しい人生をスタートした私です。
積極的に動けなかった私にでも、それでも、ありがたいことに・・・ 縁というのは、できるものなのですね。名古屋に来た私でも、小さくてもかかわりを持てる機会がありました。
今回は、小さなかかわりから今の自分の根幹に繋がったことになったご縁のお話を少しさせていただきますね。
私が最初に事務所を開いたテナントビル。私の事務所は6階。必ずエレベーターに乗ります。毎日のエレベーターの中でも、挨拶はできるのです。おはようございます!こんにちは!せっかく縁あって同じビルにいるのですから、知らない人であっても、エレベーターの中では、気持ちよく挨拶したいものです。何回も挨拶をして顔見知りになってくると、自然と会話をする方向に進む方もできてくるのですね。
私『私は、6階にいるラヴィの澤田です。』
H 『僕は、7階にある◎◎さんのところに居候しているHです。』
私 『そうなんですね』
・・・のようなところから始まって、
H 『実は、僕は親から引き継いだ会社をつぶしちゃった人間でね・・・』
・・・などと自分のことをお話してくださったのです。私も、会社を始めたばかりで、時間もたっぷりあったので、
私 『今度よかったら事務所にお茶でも飲みにきてくださいね。』
・・・という感じになって、自分の事務所に来て頂いて、お茶を飲みながら雑談するようになって。Hさんのこれまでのことを色々お話してくださいました。ここにくるまで、大変なご苦労をされていたのです。私の話もさせて頂いたり・・・・そんなことがあって、
H 『ところで、澤田さんは、全日空の客室乗務員さんだったんだよね。』
私 『ええ、そうですよ』
H 『実は僕、日本○○協会の△専務と親しくてね、今度会ってみる?』
私 『本当ですか?ご迷惑でなければ、ぜひぜひお願いします!』
という話に・・。Hさんは会社を倒産されても、人として、本当に心豊かで素晴らしい方だったので、大切なお付き合いがずっと続いている方だったのですね。後日、Hさんとご一緒に△専務とお会いすることが出来、なぜかお仕事を頂けることになったのです。38年前の話ですが、本当にありがたかった。それから、仕事を担当してくださった方々と、気が合って、色々な仕事を頂けたのです。
実はこの仕事のご縁は今も続いていて・・・このご縁からの仕事がなかったら・・今の自分の生きがいにも通じる仕事に発展することは決してなかったと思っています。その他に仕事には直結していなくとも、Hさんを通じて楽しい出会いややりとりが沢山できました。・・・今から振り返ると面白かったことばかりでした。
Hさんとは私が事務所を引っ越してからも、さりげなく自然に縁が切れなくて、昨年からまた復活して、関わりが続いています。彼ももう70代です。38年も経てば、それぞれの自分の人生をへたくそなりに生きてきたいわば同志のようなもの。人生はなんと味わい深い面白きものか・・エレベーターで挨拶していなければ今の自分はいませんでした。
あと、偶然の話をもう一つお話しますね。
私が全日空をやめてからも、特にはじめの頃は同僚の先輩や同期や後輩などが名古屋泊まりの時には連絡をくれて会って食事をしながらお話することが結構ありました。
どこで食事をしたら美味しくて楽しいか・・・?せっかくだったら、普段なかなか食べることができない大豆を中心とした素敵なレストランが自宅近くにあって、そこに色々な方を連れて行っては食事をしていたのです。
あまりに何度も通うのが、目についたのか・・・ある日、その支配人の方が話しかけてくださったのです。
M支配人 『何度も来られていますけど、この辺の方ですか?』
私 『はい、この近くに自宅があって。お友達が名古屋に仕事で来られた時に、せっかくだったら美味しくて素敵なお店がいいと思ってお連れしているんです。皆さん大喜びなんですよ!』
 ・・・・と確か、こんな感じからお話がスタートしたのだと思います。それからそのM支配人が『いつもお友達を連れてきてくださって、感じがとってもいいので、ずっと気になっていたんです』とおっしゃってくれて、そして・・・
М支配人 『名古屋で、会社を起こしているなら、うちの社長をぜひ紹介したいのですが・・・』
私 『本当ですか?もしよろしければぜひお目にかかりたいです!!』
ということになり、いよいよお目にかかることに。その方は、誰もが知っている子供の時から一度は食べたことのある有名なガムの会社の社長さんで、その当時、色々試験的にお店を複数経営もされていたのですね。私が通っていた大豆のレストランの他にも、焼き肉レストランなどもされていました。とにかく楽しくてユニークな方で。お話伺っていると、それは楽しくて楽しくて・・。ものの考え方から、時代を見る力、ものごとの捉え方など、一般的な感じではない、本当に独特の哲学がある方でした。
K社長は私になんとか仕事を一緒にできないものか?と考えてくださり、ある提案をしてくださいました。
それは、名古屋の中心街にある焼き肉レストランの広告デザインの仕事でした。私は、広告代理店の社長をされている方を存じ上げていて、その方が自分の部下を紹介してくださり、ぜひやってみたらいいと後押ししてくれ、仕事の進め方などをご指導くださり、その会社を通して、作ることは全て広告代理店にお任せで、私は請負い窓口として始めて広告パンフレットを作り、納品させて頂いたのです。
私も当時、まだ日本にはまだまだ少なかったアメリカのカラーイメージコンサルタントの資格も取得していて、広告のパンフレットを作ることにもがぜん興味がありましたので…。
この最初の仕事・・・・広告代理店の方に御指導頂きながら、仕事を完成出来ましたが、自分にとっては・・・・実は、残念なことなのですが、とっても不満足なパンフレットに仕上がってしまったのです。
・・・・・・・・・
なぜか・・・・?????これは、自分が、お客様から伺った希望や内容を広告代理店の方にお伝えしても、その方が作るわけではないのですね。その方から、下請けの方に伝えていくのです。伝言ゲームになってしまうので、作り手の方がどんなテイストのものを作るかもわからないし、見えてこない。それぞれが、頭にイメージしている内容が違うのです。ある意味、違って当たりまえ。自分がつくってないのですから・・・。
広告をつくる流れや作り方など多岐にわたってご指導頂けたことは、
何も知らない私にとって本当にありがたかったことと、今でも感謝の気持ちで一杯の私です。でも、自分がイメージしていたものとのギャップが大きくて・・・本当に落ちこんだのです。自分が、責任窓口にもかかわらず、満足いくものを納品できなかったこと・・・今でも、違和感と申し訳なさが心に残っています。
K社長は、それでも私を使ってくれました。今度は、おすすめメニューとご案内が一緒になった広告物の作成以来を頂いたのです。前回のようなことは、絶対にしてはならない!!そう強く思った私は、今の自分が出来ることで精一杯表現したいと思い、印刷会社の方と打ち合わせを致しました。
その当時は、コンピューターでデザインするような時代ではありませんでしたので、どこまで自分がやったら印刷にまでたどりつけるのかを、印刷会社の方としっかり打ち合わせをして、やれる精一杯のことを致しました。
それは、全て手書きのテイストで、語りかけの絵本タッチのパンフレットに仕上がりました。お得なチケットも全て手書きで楽しい雰囲気に・・。K社長が喜んでくださったお顔が今でも忘れません!!
この広告物は、特に女性の方々にとてもご好評頂け、このことがきっかけになり、広告デザイン業に進むことができたのです。
M支配人!、K社長!ご縁をつくってくださり、本当に本当にありがとうございました。このご恩は、一生忘れません!!今の私の会社の大切な仕事になっているデザインの仕事は、全日空の同僚の方たちと、もし食事に行っていなかったら、決して生まれることはなかったのです。
私にとっては、運命を変えるきっかけになっている出会いは、偶然の出会いから生まれているものばかりなのです。だから、みなさんも、毎日の瞬間・瞬間の人との関わりを大切に感じて過ごしてほしいのです。
そして、大事なこと・・仕事が欲しいから、人との関わりを大事にするのではなく、人の生きている存在を心から大切に感じて、人と関わって欲しいと願っています。
 


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